仄聞社ジャーナル

Inklings Inc.

コーエン『フレーミング』についてのノート

 

フレーミング「自分の経済学」で幸福を切りとる

フレーミング「自分の経済学」で幸福を切りとる

 

※通して読んだのはだいぶ前なので、その点ご容赦願います。

行動経済学をはじめ様々な業績のあるタイラー・コーエンの本。おなじ著者の『創造的破壊』が国単位の文化産業をあつかっていたのに対し、こちらは個人視点の文化論といったところ(行動経済学についてはあまり多くは取り上げてない)

以前速水健朗氏が提唱した「デフレカルチャー」という語が一部で流行したことがあった。デフレカルチャーについて専門的にあつかった書籍はまだなく、もっともまとまっているのは田中秀臣氏の『AKB48の経済学』だろう。その本や氏が監訳した『創造的破壊』の解説文で本書が参照されており、デフレカルチャー論の理論編を期待して読んだのだが……。

結論からいうと部分的には大変興味深い議論をしているのだが、本全体としては無駄な部分が多く議論がこなれていないので、人には勧めにくい。正直にいえば、現時点では『創造的破壊』の解説文を読むのが一番よいと思う。

 

■本書のおもしろいところ

・(経済的な)概念を現実に当てはめる際の、現実の整理の仕方=フレーミングを、人々が日常的におこなうものとして肯定的に描いている(p.13)

行動経済学は、おなじ結果であっても選択肢の提示方法によって選好が異なりうることを明かにした(p.245)。これはいわば経済的な概念ーー「損失」「獲得」等ーーを現実に当てはめる作業は、経済学者だけでなく、人々が日々おこなっていることでもあるということだ。経済学ではこうしたフレーミング効果をなるべく取り除くことが目指されるわけだが、コーエンはフレーミングを「情報一般の整理」と拡張しつつ、その肯定的な側面を強調している。こうした発想は大変興味深い。

固定費用の低下により商品が断片化・低廉化する、という議論(p.67)

 商品を購入する際の固定費用が低下すると、高い商品と安い商品の差が相対的に大きくなる一方、安い商品を気軽に試しやすくなる。したがって情報化により買い物のコストが低下した現代においては、商品は断片化・低廉化する。この議論はよく当てはまるのではないだろうか。

・物語の粘着性についての指摘(p.174)

ひとは自らを様々な物語ーーどちらかというといわゆる「アイデンティティ」に相当するがーーに当てはめながら生きてゆくが、そうした物語はある種の粘着性をもっており、環境が変化したからといって自由自在に変えることはできない。これは賃金の下方硬直性を忠誠心で説明するロジックと似ているが(実際に失業について言及がある)、他にも応用できる論理だと思う。

・心の消費やフォーカルポイントの議論 (第六章 他)

  トマス・シェリングを引き継ぎつつ論じられている「フォーカル・ポイント」や「消費器官としての心」については、色々と接続が可能だと思われる。詳しくは後述したい。

 

 ■本書のあまりよくないところ

・「自閉症」というカテゴリーのあつかい方がよくないのではないか

 本書全体のコンセプトを否定するようでわるいが、はたして「自閉症」というカテゴリーをもちだす必要があったのか大変疑問だ。いくつかの特徴が「自閉症」の本質として記述され、シャーロック・ホームズから日本文化まで様々なものが「自閉症」的なものとして言及されているが、「自閉症」は現実に存在する発達障害のカテゴリーであり、そこから離れてこのように雑多なものに当てはまるのはーーたとえ肯定的文脈だったとしてもーーよくないのではないか。

後述の議論とも関係するが、本書でいう「自閉症」は日本の文脈でいえばまるっと「オタク」に置き換えても問題ないし、そのほうが本書のいいたいことがよくわかるだろう(実際オタクについても言及がある)。ようするに個々人で最適化された情報の消費について論じているのであり、かならずしも神経や脳に裏付けをもつ必要はないのではないだろうか。

 

■本書をどう読むべきか

ひとつの生産的なやり方は、『動物化するポストモダン』と接続し、オタク論として読むことだろう。

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

 

フレーミングとデータベース

コーエンは人々が情報を整理するやり方をフレーミングと名付けている。人々はSNS等で情報を「お気に入り」や「いいね」によって整理し、自分自身にとって最適な情報環境をつくりあげる。こうした事態は、東浩紀オタク文化について指摘したデータベースのあり方と似ているだろう。オタクたちは作品の分類や二次創作等を通じて、消費に最適化されたデータベースを整備する。

コーエンのフレーミングが個人による情報の整理を指しているのに対して、オタク文化におけるデータベースはある程度オタク共同体に共有されるもの、という違いはある。しかしカップリングや属性の表記は、"特定の"オタク共同体において共有されるものであり、やはり個別に最適化されたものなのである。

さて、データベース消費はインターネット普及前から二次創作市場においてすでに運用されていた。したがってオタク文化におけるデータベース消費はインターネット以降の個別化した情報環境の先駆とみなせるだろう。インターネット以前なので共同体単位で情報を整理していた、という見方もできるかもしれない。

・フォーカルポイントと萌え要素

またコーエンはフレーミングの際に特定の要素=フォーカルポイントを中心にして情報の整理がなされることを指摘している。これはデータベース消費論でいえば「萌え要素」に相当する議論だろう。

東園子によれば、腐女子において「萌え要素」に相当するのは「カップリング」だという。個別に最適化されたデータベースにおいては、しばしば特定の特権的な要素が認められるのであり、それがフォーカルポイントだといえるだろう。

 なお、フォーカルポイントは元々ゲーム理論の用語であり、人々の「他人がこうするだろう」という期待/予想の集積点を示す概念だ。こうした意味でのフォーカルポイントを「社会的フォーカルポイント」と呼ぼう。それに対してコーエンが論じているのは、個人や共同体が情報を整理する際の基準のようなものだ。こちらを「情報的フォーカルポイント」と呼んでみよう。

「情報的フォーカルポイント」が複数人で共有されて「社会的フォーカルポイント」になることも十分ありえる。両者を兼ね備えているものの典型として貨幣があげられるだろう。マルクスがいわゆる価値形態論で論じたように、貨幣は人々の「他人がこれによって取引をするだろう」という期待の焦点である一方、それによって商品世界が体系化されるという意味で、情報の整理の焦点でもある。

・消費器官としての心/心の消費*1

特定の情報を自分自身の物語/アイデンティティに関連づけることで充足感をえる、価格コストなしでおこなわれる消費の形態。コーエンによればリーマンショック後の不況とインターネットによる情報化によって一般化した。これもまたデータベース消費に当てはまりそうだが、すこし掘り下げてみよう。

このコーエンの議論は、 消費の外部性についての議論だとみなせるだろう。ある情報を消費するにあたって、それを他の情報ーーデータベースーーに結びつけて消費をすることで、より効用を増すことができる。これを「コンテンツの外部性」と呼ぼう。またもうひとつの外部性として、ある情報を他人と共有し話題にすることでも効用がえられるだろう。こちらを「コミュニケーションの外部性」と呼びたい。

後者については消費者が増えること自体で効用が増すわけなので、いわゆるネットワーク外部性と呼ばれるものに近い。ところでネットワーク外部性には負の外部性もありえる。たとえば美術館で観客が増えすぎると鑑賞に差し支えるので、効用がさがる。

このように整理したとき、ディズニーランドのような成功したテーマパークは、正のネットワーク外部性ーーファンが増えることで話題として共有しやすくなり効用があがるーーと負のネットワーク外部性ーー観客が増えることで十分に回れなくなり効用がさがるーーという正負の外部性の板挟みになっている、ということもできるだろう。

これはオタク文化にもあてはまる。特定のフォーカルポイント(萌え要素etc)が普及することで話題として共有しやすくなる一方(正の外部性)、他の共同体からの揶揄等の対象にもなりやすくなる(負の外部性)。

まだ通読していないが『アイデンティティ経済学』にも通じる論点かもしれない:

アイデンティティ経済学

アイデンティティ経済学

 

 

■その他の関連書籍/情報について

『創造的破壊』の解説文は下記エントリで一部読める:

 ちなみにこのエントリにある『情報食いの時代』は『フレーミング』の原著の文庫版であり、内容は基本おなじらしいので注意。別の本だと勘違いしてて、いつか訳されるのかと思ってました(^^;

そんな田中秀臣氏の本:

AKB48の経済学

AKB48の経済学

 

さて、この本においてはABK48が日本の長期不況に最適化されたデフレカルチャーだ、と論じられている。効用面ではたしかにそうだろう。消費者はアイドルたちのキャラクターを自分自身の関心ーーフォーカルポイントーーに関連づけて消費してゆく。

しかしコスト面では、AKB48は一部のファンにより大量の消費をひきおこしており、コーエンの論じたような価格コストなしの消費とは対極ではないだろうかーーこれはもっともな疑問だろう。

田中氏は言及していないが、価格差別という考え方を導入すればAKB48のデフレカルチャー性は大変よくわかるのだ。そのことを説明したのが次の本:

マクドナルドはなぜケータイで安売りを始めたのか? クーポン・オマケ・ゲームのビジネス戦略 (講談社BIZ)

マクドナルドはなぜケータイで安売りを始めたのか? クーポン・オマケ・ゲームのビジネス戦略 (講談社BIZ)

 

 この人のマクロ経済観は注意した方がよいのだが、この本にあるAKB48の価格差別を説明した箇所はデフレカルチャー論として出色なので読むべし。とはいってもつぎの記事にほぼ書いてある:

省かれている部分を補足すると、AKB48にみられるCD+握手券のような付加サービスのパッケージは、握手券は何枚あっても消費に上限がないので、お金のない/出せない人は1枚だけ買ってお祭りに参加し、お金のある/出せる人は買えるだけ買うように設計されている。ようするに、「その人にとって出せる金額の限界の値段で商品を買ってもらう」 ような商品形態なのだ。この本では「自己選択型の価格差別」と呼んでいる。

 最後にもう1冊:

たかがバロウズ本。

たかがバロウズ本。

 

意外かもしれないが、この本はデフレカルチャーを論じるにあたってのヒントがたくさんあると思う。とはいえそのままでは使えない。

この本の文化的な消費財に機会コストを導入するという考え方は、デフレが人々の賃金が減少することで機会コストが下がってゆくという意味で、デフレカルチャーに適応可能なものだと思う。一方で以前id:and-me-cat君が指摘していた通り、この本のアプローチだと文化的な消費財の効用や価格の違いが反映されず、どんな消費財も早く消費すればB/Cが上昇する、ということしかいえない。

その辺りをうまく修正すれば、人々がデフレ時には「価格コスト・パフォーマンス」 が優位な消費財を選好し、インフレ時には「時間コスト・パフォーマンス」が優位な消費財を選好する、というようなモデルがつくれると思う。……というかすでにエクセル上ではできたのだが、文章にするのがめんどくさくて放置してある。なんらかの形でアウトプットしたいと思っているので、こうご期待!

 

*1:記号的消費との対比で心的消費と訳すると収まりがよいと思う