私が書いたエントリ(ビデオゲームの規範について - 仄聞社ジャーナル)について、元エントリの松永さんにご返答いただきました。
専門家の方に間違いをご指摘いただき、よりよいストーリーまで提示してもらって、読書会参加者冥利につきます。ありがとうございます。
このエントリでは、前半はご指摘についてまとめ、後半は私の確認点や疑問点について書きます。新たな論点について知りたい方は後半からお読みください。
Ⅰ ご指摘について
■構成的規則の例文について
元エントリにも追記しましたが、「構成的規則と規制的規則」の節で私があげた以下の例文、
アナログゲームもビデオゲームも、先程論じたように構成的規則はふつうに成り立っています。
- (A1)チェスにおいて、ルークは縦横に動く
- (A2)SMBにおいて、ジャンプはAボタンを押す
について、(A2)はビデオゲームの構成的規則の例としては間違っており、SMBにおいて「Aボタンを押すこと」が「ジャンプ」としてみなされるのではなく、「Aボタンを押した結果生じるコンピュータの特定の状態変化」が「ジャンプ」としてみなされる、というご指摘です。
まったくその通りだと思います。正しくは、
- SMBにおいて、ジャンプはAボタンを押し、マリオを画面内で上昇させる(、……(他の変化がつづく))
か、あるいは「ジャンプ」は同定がやや難しいので、
- SMBにおいて、ダッシュはBボタンと右もしくは左キーを同時に押し、マリオを通常より早く移動させる
というような例文にすべきでした。下書き段階ではあったのですが、削ってしまったのは私が十分に理解していなかったからでしょう。例文が間違っていますので、それにつづく議論も説得力を欠いていることと思います。
■プログラマーの規範について
また後半のプログラマーの規範についてのご指摘も、大変よくわかりました。たしかに、まずもってアナログゲームにおける審判の規範が、ビデオゲームにおけるプログラマーの規範に対応するものだと思います。審判の規範がプログラマーのそれに置き換わる過程でプレイヤーの規範が軽減した、という筋書きのほうがよいかもしれません。
Ⅱ 確認点・疑問点について
せっかくの機会なので、ビデオゲームにおける規則について、私の側から論点を提出してみたいと思います。なお、松永さんにかぎらずご意見がある方はぜひ伺ってみたいです。
改めて、議論の出発点となるエントリはこちらです:
ここで議論されている「ビデオゲームには規範が(あまり)ない」という主張について、私が構成的規則/規制的規則の区別をもちだしたのでした。
■確認点:ビデオゲームにおいてもプレイヤーは構成的規則に従っている
松永さんの博論にもあるように(6.3.5.4や9.9等)、プレイヤー側において当然構成的規則は成り立っています。プレイヤーは構成的規則に従うことでゲーム内の行為を意味あるものとして体験できます。
■疑問点:ビデオゲームにおいてプレイヤーは規制的規則に従っているのか
この論点については、私なりに有力な立場を挙げてみます:
(1)規制的規則はたいてい成り立たない(例外あり)
この立場の場合、「ビデオゲームには規範がない」というときの「規範」は概ね規制的規則ということになりそうです。アナログゲームとビデオゲームの違いに見通しを立てることができるので、魅力的な立場だと思います。
例外としては、敗北条件については規制的規則は成り立つようにも思えます。
ちなみに私は前回のエントリを書く前はこの立場だったので、サールの区別をもちだしたのでした(書く過程で意見が変わったのです)。松永さんも先日お話した際はこちらのご意見に近いように思えました(口頭なのでわかりませんが)。
(2)規制的規則は成り立つが、アナログゲームとはあり方が異なる
先のエントリにもすこし書きましたが、ビデオゲームにおいても規制的規則は成り立つといえなくもないが、あきらかにアナログゲームのそれとは異なる、という立場です。
こちらにおいてはアナログゲームとビデオゲームの違いについてはあまり理解は得られないかもしれませんが、ビデオゲームの規範についての理解は深まると思います。
(3)規制的規則が成り立つというより、プレイヤーは規制的規則を利用している
プレイヤーが規制的規則に従っているかどうかはさておき、プレイヤーはゲーム内の事象を理解するのにあたって規制的規則を利用はしているのではないか、という立場です。観戦者が規則を利用してゲームを理解しているのとある意味ではおなじです。
こちらはアナログゲームとビデオゲームの違いについてはあまり説明しませんが、ひとつの一貫した立場のように思えます。
以上思いつく立場を列挙してみましたが、お互いに排他的ではないかもしれません(とくに(3))。また他の立場もありえると思います。サールのそれよりもっと適切な概念もあるかもしれません。
どのような立場もそれぞれ知見が得られますので、より議論が深まり、もっともらしい立場が判明すると私としてはうれしいです。
余談として、ひとつの事例をとりあげます:
キャンディークラッシュのようなマッチ3パズルにおいては、おなじ種類のブロックが3つ以上並ぶ場合においてのみ、ブロックを入れ替えることができます。
これを「ブロックを入れ替えて3ブロック以上揃うならば、1手とする」といったように構成的規則として理解することもできますが、「3ブロック以上揃わなければ、入れ替えてはならない」というような規制的規則としても理解できるかなあと。というのも、上記動画の0:15あたりのように、3ブロック以上揃わなくても操作上入れ替えることは可能なんですね。自動で元に戻されますが。
「3ブロック以上揃わなければ、入れ替えてはならない」という規則においては、
- 規則と「入れ替え」の特定が独立している
- 規則に従わないこともできる
- 規則に従わないとゲームが進行できない(規則に従わない手が他の選択肢になりえない)
- ただし実質的なペナルティはない
1手にならなくても入れ替えができちゃう仕様はタッチパネルならではのような気もするので、そうゆう意味でもおもしろい事例かなあと思います。